ジョセフ・ヒューベルトゥス・ピラティスは、なぜ、世界にピラティスメソッドを広めたのか?

ジョセフ・ヒューベルトゥス・ピラティスがピラティスを世界に広めた背景には、彼自身の人生経験と信念、そして「身体と心のバランスこそが健康の鍵である」という強い」理念がありました。
1.自分自身の虚弱体質を克服した経験
ジョセフ・ピラティスは1883年、ドイツに生まれました。彼は幼少期、喘息やくる病、リウマチ熱など、複数の病気に悩まされる虚弱体質のこどもでした。しかし彼は、自分の身体を強くしたいという強い意志をもち、ボディビルや体操、格闘技などさまざまな運動を独学で学び、自身の身体を鍛え上げていきました。
2.第一次世界大戦中の看護活動
戦争中、彼はイギリスで捕虜となりますが、その収容所で負傷兵や病人のために独自のエクササイズを指導します。寝たままでできるエクササイズや、ベッドのスプリングを利用したリハビリ道具など、創意工夫によって人々の回復を助けました。
この経験が、後にピラティス専用器具「リフォーマー」などの原型となります。
3.「身体と心は一体である」という理念の」普及
ジョセフ・ピラティスは自分のメソッドを「コントロロジー(Contrology)と呼びました。これは「身体をコントロールすることで、心と身体の調和を図る」という考えに基づいています。単なる筋トレやストレッチではなく、集中・呼吸・正確さ・コントロールなどを通して内側からの健康を目指すものでした。
ピラティスの目的は「心と身体の統合を図り、より良い人生を送るための手段」
とされていたのです。
4.アメリカへの移住とバレエ界への浸透
1926年、ジョセフはアメリカに渡りニューヨークにスタジオを設立。近隣にあったダンススタジオと縁があり、多くのバレエダンサーがピラティスを取り入れ始めます。これによって、身体表現や怪我予防に関心の高い人々の間で評判が広がり、次第に世界中に広まっていきました。
ジョセフ・ピラティスは、自分の弱さを克服した方法を他人にも役立てたかった。戦争や病気で傷ついた人々の回復を助けたかった。こころと身体の健康を高める哲学を伝えたかった、という思いから自身のメソッドを広めるべき使命と捉えていました。
彼にとってピラティスは「エクササイズ」ではなく「生き方」そのものであり、それを世界に伝えることは、より良い社会づくりにもつながると信じていたのです。